白夜回想  その四

その奇妙な館に到着したのは旅の三日目だった。むかしは、
村の代官の屋敷だったというこの館は、深い森の中に、息を
ひそめるようにたたずんでいた。裏手は湖に面していて、繋
がれた小さな船が白い帆をゆらしていた。三階建ての一階は、
舞踏会でもできそうな大広間になっていて、白いタイルの
ペチカがこの部屋のアクセントになっていた。裏手の湖に
ベランダがはりだしていて、やはり白いタイル張りになって
いる。この床も暖房になっていて、冬の寒さに備えてあるの
だという。
この家の家族は、男三人と女二人、それに子供が一人と、
生まれたばかりの赤ん坊である。これで一家族なのだ。
つまり、男女五人のフリーセックスの家族である。彼らは当時
のヒッピー達が言う「コンミューン」の実践者達であった。
この田舎に共有の館を購入し、共有の子供たちをつくり、新し
い愛のいや、心の在り様を模索している小集団であった。彼
らは、一見して解る髪やひげを伸ばしたヒッピーではなかった
が、私にはその自由さが驚きであった。
一階の風呂場の前を通ると、赤ん坊の入浴中であった。一組
の男女が裸のままわたしに赤ん坊を見せた。母親はともかく
男は父親というわけでもないのだろう、しかし、二人はまるで
屈託のない笑顔でこちらを見つめていた。わたしは彼らの
裸体にではなく、ある戸惑いを感じていた。

私が神学校を退学になった頃、地下の喫茶店で紀子と出会
った。彼女は年上の美しいレジ係りであった。私は厨房の中
で、慣れない調理をしながら、カウンター越しに、彼女のこぼ
れるような笑顔を見つめていた。
多感な時代を聖者のつもりで過ごしてきたわたしには、女性
を誘う器用さはなかったが、ただ、成熟した女性のまぶしさに
酔っていた。ふとしたきっかけで、雨の中、わたしは着物姿の
彼女を自分の車で送ることになった。家が近くなった頃、
助手席の人の狂おしい匂いに耐え兼ねた私は、不器用に
自分の胸中を告白し、驚いたように黙ったままの彼女の手
を握った。紀子には、男がいた。しかし走り出した若い情熱は
盲目であった。
私と紀子は、たびたひ、男と衝突して血を流した。店の経営者
は、無謀さをたしなめたが、私は聴かなかった。やがて彼女は
あごの骨を折られて入院した。それをきっかけに、紀子とわた
しは、東京に引っ越した。便所くさい四畳半の新居で私達の
同姓生活が始まった。
紀子は近くの小料理屋で働き、私はデザイン学校に通った。
ささやかで、甘い毎日であった。
その紀子は、私のスウェーデン行に賛成した。「あなたは、
なんでも、いっぱい勉強して」 と彼女は言った。しかし、空港
の出発ロビーにわたしが入ると、激しく泣き叫んで、両脇を
友人達に支えられなければ、立っていられなかった。

 「自由」、 戸惑いは、目の前の二人の裸と紀子との間に
あるように思われた。

その頃のスウェーデンは、ヨーロッパでも前代未聞の福祉
政策をとっていた。十五才になれば、子供を作っても、すべて
政府が面倒をみてくれた。遊んでいる女の子は皆、十五才だ
と言い張った。SEXはOKだと言う意味だった。タージマハル
の宿舎にはファンの女の子達がたむろしていたが、ほとんど
が十五才にも満たない子達だった。メンバーは好みの子を
選んでは連れ歩いていた。わたしは、アニカとニーナという
仲のいい二人と連れ立ってよく遊んだ。アニカは背の小さな
肌の透き通るような美人で、ブロンドの長くまっすぐな髪が
美しかったアニカは、わたしの黒い髪をブラッシングしながら
黒髪はファンタスティックだと言った。日本人の子供を生み
たいとも言った。友達が生んだ日本人との子ともがすごく
かわいいからだと言う。
わたしにはどうしても実感が湧いてこなかった。


                                  つづく

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   奇妙な館

   ベランダから湖を望む 

   ペチカとこの家の息子イワン   

   この家の住人